幸せの波動バラ花束販売「ベルローズ」店長日記>> 未分類 >> 運動会に思う
スポンサードリンク
運動会に思う
24日、運動会も晴天の下、無事終わりました。この話題は毎年書いているように思いますが、私達親が言わなくては、という思いからまた今年も....。
最近の運動会は、障害走が多くを占め、徒競走には出なくてもよかったり、誰がどんな能力に突出しているのか、見ている方も児童本人も本当にわかりにくくなっています。(学力面でも同じで、テストも間違っていても直されて皆100点になって返ってきますし、通知簿もその子の能力に対してどれだけがんばっているかという評価なので、相対的な評価が家庭では一切わからなくなっています。)社会に出たら競争の中に入らざるを得ないのに、大丈夫かしらと、少し不安を感じてしまいます。
また、運動会が単なる「お祭り」になっているのがとても残念です。それと割り切ってしまえばいいのでしょうが、やはり子供達が笑いながら、力を半分抜いて走っている姿は、微笑ましくはあれ、感動しないのです。最後の選抜リレーだけが真剣勝負なのですが、一年生から六年生までバトンを渡していく姿を見ているとその「一生懸命さ」に心をうたれ、わが子ではない子供達にも感動させられます。もっと多くの競技にその光る汗を見たいものだと思います。
そして、男女の「区別」と「差別」を勘違いしている今の教育体制も、男女混合名簿から始まって、親達は疑問を感じながら見ているのですが、運動会では更によくわかります。どの競技も男女一緒に走らされるのです。うちの下の子は女の子ですので、走るグループの女の子の中では一番早いのに、テープを切るのは男の子なので、運動会前は「ライバルは○○くんなのよ!」と真顔で言っており、男の子と勝負する意気込みで一杯でした。男の子と女の子では、身体の仕組みが違うのですから、区別して競技をさせてあげればと、毎年思ってしまいます。
この子達が大きくなった時、社会では男性と張り合おうとする女性がいかに増えるか、今から想像がつきます。
これまで、何度かPTAの会合で先生にも私達親の考えを伝えた事もあるのですが、「差別のない学校を」という事での取り組みだと、堂々と言い切る先生方にしか伝えられず、解り合えていない現状が本当に残念です。週休二日制になった事で学力が落ちたと大騒ぎしたこの国は、やはり結果が見えてからしか動けないのかしら...と疑問に思ってしまいます。
でも、昔と違っていい点もあるそうです。これは右脳教室の山中先生がおっしゃっていたのですが、昔と違って学年を縦割りにして交流をはかる取り組みが、今は運動会の各所に見られるようになっているそうです。学年毎でまとまった教育がほとんどだった昔は、社会に出ると必ず縦割り社会なので、その事に対応できるようにと、最近は変わっていたそうです。そういえば、一年生から六年生までが縦割りでグループになり参加できる競技が、確かにこちらでも見る事ができました。良い点も少しづつ取り入れられているのですから、これからの大切な子供達が、親も先生も解りあえ納得できる教育を望みます。

最近の運動会は、障害走が多くを占め、徒競走には出なくてもよかったり、誰がどんな能力に突出しているのか、見ている方も児童本人も本当にわかりにくくなっています。(学力面でも同じで、テストも間違っていても直されて皆100点になって返ってきますし、通知簿もその子の能力に対してどれだけがんばっているかという評価なので、相対的な評価が家庭では一切わからなくなっています。)社会に出たら競争の中に入らざるを得ないのに、大丈夫かしらと、少し不安を感じてしまいます。
また、運動会が単なる「お祭り」になっているのがとても残念です。それと割り切ってしまえばいいのでしょうが、やはり子供達が笑いながら、力を半分抜いて走っている姿は、微笑ましくはあれ、感動しないのです。最後の選抜リレーだけが真剣勝負なのですが、一年生から六年生までバトンを渡していく姿を見ているとその「一生懸命さ」に心をうたれ、わが子ではない子供達にも感動させられます。もっと多くの競技にその光る汗を見たいものだと思います。
そして、男女の「区別」と「差別」を勘違いしている今の教育体制も、男女混合名簿から始まって、親達は疑問を感じながら見ているのですが、運動会では更によくわかります。どの競技も男女一緒に走らされるのです。うちの下の子は女の子ですので、走るグループの女の子の中では一番早いのに、テープを切るのは男の子なので、運動会前は「ライバルは○○くんなのよ!」と真顔で言っており、男の子と勝負する意気込みで一杯でした。男の子と女の子では、身体の仕組みが違うのですから、区別して競技をさせてあげればと、毎年思ってしまいます。
この子達が大きくなった時、社会では男性と張り合おうとする女性がいかに増えるか、今から想像がつきます。
これまで、何度かPTAの会合で先生にも私達親の考えを伝えた事もあるのですが、「差別のない学校を」という事での取り組みだと、堂々と言い切る先生方にしか伝えられず、解り合えていない現状が本当に残念です。週休二日制になった事で学力が落ちたと大騒ぎしたこの国は、やはり結果が見えてからしか動けないのかしら...と疑問に思ってしまいます。
でも、昔と違っていい点もあるそうです。これは右脳教室の山中先生がおっしゃっていたのですが、昔と違って学年を縦割りにして交流をはかる取り組みが、今は運動会の各所に見られるようになっているそうです。学年毎でまとまった教育がほとんどだった昔は、社会に出ると必ず縦割り社会なので、その事に対応できるようにと、最近は変わっていたそうです。そういえば、一年生から六年生までが縦割りでグループになり参加できる競技が、確かにこちらでも見る事ができました。良い点も少しづつ取り入れられているのですから、これからの大切な子供達が、親も先生も解りあえ納得できる教育を望みます。

スポンサーサイト
trackback
コメントの投稿
ありがとうございます
shioさん、コメントありがとうございます。
バラを大切にしていただいて、バラ達が本当に喜んでいるだろうなあと思うと、うれしくなります。
そうですよね。「平等=差別がない」ということは「ひとりひとり同じじゃない」ということをお互いが認める事なのですよね。そういう事がわからないということは、「自分」というものもわからなくて、「自分」がわからないまま大きくなった大人達は、一旦仕事についてみてから自分探しを始めなくてはならなくて、苦悩しなくてはならない姿を私も多く見かけます。
私達の世代でも多いのに、これからの子供達はもっと迷い道が多くなりそうです。

バラを大切にしていただいて、バラ達が本当に喜んでいるだろうなあと思うと、うれしくなります。
そうですよね。「平等=差別がない」ということは「ひとりひとり同じじゃない」ということをお互いが認める事なのですよね。そういう事がわからないということは、「自分」というものもわからなくて、「自分」がわからないまま大きくなった大人達は、一旦仕事についてみてから自分探しを始めなくてはならなくて、苦悩しなくてはならない姿を私も多く見かけます。
私達の世代でも多いのに、これからの子供達はもっと迷い道が多くなりそうです。

Unknown
贈っていただいたバラは、大事に水をあげているので、まだキレイです。ありがとうございました。
学校教育はどうして、骨抜きになったか良くわかりませんが、学年の縦割りはおもしろそうですね。小さい時に勝ち負けを教えないと、大きくなって負けや失敗を認めない大人が増えて困るんですがね、、。実際にヒッキーと言うのもそんなところから出来ているんじゃないかと思います。自分の置かれた位置をイヤでも見せなきゃ始まらないと思うのですが。ソレがひとりひとりの平等だと思いますよー。平等はひとりひとり同じじゃないということなんだがなー。
学校教育はどうして、骨抜きになったか良くわかりませんが、学年の縦割りはおもしろそうですね。小さい時に勝ち負けを教えないと、大きくなって負けや失敗を認めない大人が増えて困るんですがね、、。実際にヒッキーと言うのもそんなところから出来ているんじゃないかと思います。自分の置かれた位置をイヤでも見せなきゃ始まらないと思うのですが。ソレがひとりひとりの平等だと思いますよー。平等はひとりひとり同じじゃないということなんだがなー。
生きる力を養わなくては
日本の将来が不安になるでしょう!?

ほんと教育に関しては、それぞれの家庭が一番しっかりしなくては...と思います。
社会の荒波を乗り越える「生きる力」は長いものに巻かれているようでは、産まれませんよね。
でも先生方の中にも、ジレンマを感じている方がきっといらっしゃるでしょうね...。
子供達に聞くと、昔のような「コワーい体育の先生」は、学校には一人もいないそうです。先生には何も言わせない親がいるのも確かですが、子供達のためにという心はお互いにあるのですから、理解しあって少しでも歩み寄れるといいなあ..と思います。

ほんと教育に関しては、それぞれの家庭が一番しっかりしなくては...と思います。
社会の荒波を乗り越える「生きる力」は長いものに巻かれているようでは、産まれませんよね。
でも先生方の中にも、ジレンマを感じている方がきっといらっしゃるでしょうね...。
子供達に聞くと、昔のような「コワーい体育の先生」は、学校には一人もいないそうです。先生には何も言わせない親がいるのも確かですが、子供達のためにという心はお互いにあるのですから、理解しあって少しでも歩み寄れるといいなあ..と思います。
没個性ですね!
へぇ、今ではテストもみんな100点で返ってくるんですか
運動会も適当になってしまったんですねぇ、差別はないけど個性も発揮できない教育ってどうなんでしょう
もう団体競技しかできないですね、綱引きとか玉入れとか・・・
将来は、長いものに巻かれる&寄らば大樹のかげ、が人生観になってしまうのでしょうか?ちょっと寂しいですね



将来は、長いものに巻かれる&寄らば大樹のかげ、が人生観になってしまうのでしょうか?ちょっと寂しいですね
